徳川家康も吃音だったとする説がある。

徳川家康をご存知でしょうか?

 

日本人であれば知らない人の方が少ないし、成人になってからこの人を知らないのは問題だと思います・・・。

 

ご存知の通り江戸幕府を開いた初代将軍です。

 

「鳴くまで待とう不如帰」などの言葉でも有名な方でしょう。

 

実は、この徳川家康も吃音だったとする説があるんです。

 

家康の孫にあたる徳川家光の吃音は有名ですが、祖父である徳川家康も吃音だとする資料が実際に存在します。

 

徳川家は案外、ストレスなどが溜まると声に出やすい(吃音)家系なのかも知れません。

 

 

 

伝令が聞き取りにくい

 

徳川家康が吃音だとする根拠なのですが、実際にそういった資料があるようです。

 

戦場だと伝令などがあります。

 

伝令の兵士が家康の元に来て、家康に状況を報告するわけです。

 

その時に、家康の場合は中々すぐに声を出して言葉を兵士に返すことが出来なかったなどの話しもあります。

 

他にも、返す言葉などが戦場になると非常に聞き取りにくいなどの問題もあったようです。

 

ただし、家康の場合は戦場では吃音が出るが普段は余り出なかったかも知れません。

 

それか軽度の吃音だったのかも知れませんね

 

何故なら、家康が吃音だったとする話は資料的には少ないからです。

 

徳川家光の吃音は有名で、こちらは隠しようがないほどの吃音で、普段から吃音だったと思われます。

 

それに反して、家康は戦場に行くと吃音が出るタイプだったのかもしれません。

 

何故なら、吃音と言うのは特定の人や場所で出る症状です。

 

普通に喋れる時は、いくらでも喋る事が出来ます。

 

それを考えると、戦場だけの吃音だったのではないか?と思えるわけです。

 

 

 

家光を将軍に指名した理由

 

徳川家康は、徳川家光を将軍に指名しています。

 

戦国時代の初期の頃は、長男が次期将軍になるという決まりがありませんでした。

 

実際に徳川家康は、秀忠を時期将軍に指名していますが、秀忠の上に兄の結城秀康(養子に出された)がいます。

 

不仲説もあるわけですが、ここでも分かるように当時は長男が跡を継ぐことは決まっていませんでした。

 

家光には、弟に忠長がいて吃音の家光に比べて利発さがあり家臣にも人気がありました。

 

しかし、家康は家光を推薦しています。

 

もちろん、春日の局が意見が功を奏したなどの意見もあるわけです。

 

しかし、理由はそれだけだったのではないのかも知れません。

 

案外、吃音の家光を見て愚鈍に見えるようでも、どこか光るものを見つけたのかも知れないと思うわけです。

 

もちろん、そのあたりは徳川家康本人でないと分かりません。

 

しかし、家臣にも秀忠にも人気があり利発な次男忠長ではなく家光を選んだと言うのは、何かしら光るものを見たことは間違いないでしょう。

 

本人も吃音のことを気にしていて、吃音者だからこそ、苦労してきたからこそ見えるものがあったのかも知れませんね。

 

この辺りは徳川家康本人に聞いてみたいところでもあります。

 

現時点では、不可能ですが・・・。吃音者であれば家康を見習って「鳴くまで待とうホトトギス」を座右の名にしてもいいかも知れません。

 

でも、戦国時代の最後の勝者である徳川家康が吃音だと分かったことで勇気が湧いてきた人もいるのではないでしょうか?

 




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